仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

ふるさと納税GOTOにみる日本版共産主義崩壊

零戦が終わった90年代、ソ連の崩壊、中国の衰退を社会主義の衰退として、「何もしないで給料がもらえる国は死ぬ」などと言う暴論が跋扈していた。

実際は「自由の欠如」による民衆の酸欠状態だったと思う。汚職蔓延はその表象、生きる価値が私腹を肥やす事にしか結実しないのは自由の欠如だ。それが後に解として出される「ペレストロイカ」や「富める者から富め」の政策に現れていると思う。『セカンドハンドの時代』にそれが描かれていたと思う。

国内では夜中まで使命感を持って働く官僚たちがマスメディアと民衆に悪の権化とレッテルしてやり玉にあげ、『官僚たちの夏』を志すような人々を尽く追い出した。大蔵省解体がその始まりだった。バブルの崩壊の責任をあてこすられて、恨まれるまともな権力は崩壊した。

その後に経産省の出す、民間の尻拭い政策、ふるさと納税GOTO、エコポイントのような、ポピュリズム政治に乗った中小事業者がその後にエライ酷い目に遭うことが多発している。

共産主義の崩壊とは、巨大化するシステムの中で、自由が担保できず、何が使命であるか?何が人の役に立つのか?逐次自分の頭で考えて行動する人間を排除した結果、人々が自由の不足で酸欠の状態になり瓦解するプロセスのことだと結論すると、日本でもそれが起こっている途上にあることがわかる。が、30年かけてゆっくりと起こっている為に誰も気がついていない。

つまり我々はもう既に茹でガエルとなっている訳だ。

茹で上がったカエルが、なんとなく動き回っている。極度に熱いお湯の中を泳ぎ回っているなんとも不思議なカエル達の行き着く未来は、高温ガエルに進化した新人類の世の中なのか?

ほとんど自分の頭で考えることをせず、刹那的に笑えることだけを追い求め、私生活は始終演技でやり過ごす。

適応するゾンビ。

なんとも気持ちが悪い。