仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

甘利にも酷すぎて、コロナ渦に巻き込まれて

■少し仕事が忙しくなくなった数年前、ふと政治や周りの状況に目を向けてみると、国会における政権の答弁があまりにも酷く嘘ばかりなのに、ニコ動コメントが政府参礼の誘導コメントばかりなのに絶句した。昼間から国会中継NHKじゃなく見ている自分も自分だが、この書き込みを行なっているのは何者かと思い巡らすと末恐ろしい気がした。

同じくYouTubeにもその手の嘘情報や誘導情報が溢れていた。地上波TVワイドショーも質の悪さが目立つ昨今だが、効果なしの健康食品でボロ儲けする詐欺会社の作った偽ワイドショーはその比じゃない。それがNHKBBCの情報と同列に表示されるYouTubeの環境が恐ろしい。

どうもこの流れが始まっているのは、2011年の震災の頃からの様だ。こんなものを若い人たちが見ていたら、完全に頭おかしくなるなという危機感がこの公開メモの初心だった。

しかしあまりにも現実社会が酷すぎて、このメモが怒りのぶつけ先になりかかっている。甘利、良くない。

今回の「#検察庁法改正案」事件はコロナ「渦」で仕事に暇ができた人々が、自分たちに無害だからと無視してきた政治が、腐ってきてしまっていることに期せずして気がつく要因となったようで良い事になったと思う。

コロナ禍で幸せになる人がいるという。それも結構多いようだ。立ち止まって自分を見直すからだろう。幸不幸は環境の問題より自身の問題に依る所が多い。心配性は何をしていても心配だ。

初心に立ち戻って、自分の神経症を排し仮説して考えるべき真の問題をメモしておこう。

・ネット情報は戦略的マーケティングに使われ始め、それが政治マネーを求めた時、民主主義がそのポピュリズム的側面から崩壊する。その兆しがある。(フェイクニュースの問題)

・上下、善悪、全てのラインを崩す、それが近代の芸術など全てが目指してきたもの。しかしその結果、カオスが現れた。壊された尺度の為に我々が判断できなくなった上にカオスが現れたので我々は酷く無防備である。必要なのは新しい尺度ではなく、揺るがない尺度なのだが、それがもう何なのか、わからなくなり始めている。ともすると全てを捨ててもう一度同じことを始めかねない。(善悪の問題)

・新しい世界が示す悪を否定するのは簡単、しかし我々の思い描く善を、新しい世界の上に上書きする、秩序を再構成する作業を、近年、年寄りは特に怠っている。(イノベーションの問題)

・資本主義の終わりと言うが、資本主義に嵌めた鎖の制度疲労ではないか?資本主義の暴走に抗えなくなってきているのではないか?(経済と社会の問題)

これらの警告に夜な夜な問い備える事。