仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

ネットリテラシーとは「バカ」のこと

フェイクニュースや動員、釣り情報に引っかからず、踊らされず、ブレインウォッシュされず、差別活動に加担させられず、ステルスマーケティングに引っかからず不要不朽の物を買わず…正しい情報を掴むには。

落語には、「お前はバカだな!」というセリフがよく登場する。定番は、ばかだばかだと怒鳴るオヤジが、いちばんバカだったみたいなもの。

今、下手に友達や後輩に「ばかだなぁ」などと言おう物なら、キレられて刺され命も奪われる可能性がある。ばかだばかだと言われて育てられた小生の感覚からは考えられない。

ネットを見る上で重要なのは、

1.自分の先入観を排除して情報を取得する事、すなわち自分がばかであるかも知れないという立ち位置
と同時に

2.発信者もバカであるかもしてない

という相反する二つの疑義がなくてはいけない。

つまりネットリテラシーとは、「慎重であれ」という事に尽きる。

そして慎重であると同時に、大胆なイノベーションや新しい活動、創作をバックアップする事が人々の力になり、やがては国力につながる。

YouTubeを使って内部告発を敢行し、失策を続ける国と機能していない対策を、再起動させる。この様な事ができるというのは、現代社会の新しい力のなせる技だ。

一見バカの様に見えて立派である事。

一見まともに見えて、結局何の結論も持たないセリフ。

今、安倍晋三政権が進めてきた国会の無力化政策のおかげで、日本は一見まともに見えて中身が空っぽの、儀式国家になってしまった。

常に問答無用で受け入れる態度も時には必要だが、常に疑う態度も時には必要である。

そこの線引きこそが、人間の軸であり人が鍛えるべき最重要項目なのだ。

舵の取り方である。

 

それは決してマニュアルではない。