仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

レイヤーの話

■大きいなと言えば、それほど大きくもないと答え、小さいなと言えば、それほど小さくもないという。

例えばコロナウイルスは危険なのかと問われ、どう答えるのが適切かは、その対象者によって変わってしまう。

その結果一般的な話ができない。いくつもの「区分」の中でしか我々は言語でコミュニケーションすること自体が不可能なのだとする。

討論や議論を避け、ノリや空気でのみコミュニケーションをとる。それしかできないとして、他を避ける。

この結果生まれてくるものが、現在日本に現れてきたいくつもの危機だ。

問題の本質をスポイルして流れで結論を出す。それがエンターテインメント的な祭りになり、本筋を無視して人の塊を構成し、意識が統合されぬまま、組織を形成する。これが

企業によるネポティズムの政治

そこからくる全体主義

を許してしまう。

 

多種多様な人々が同時に問題意識を共有して答えを出せるのか?と問うた時、無理だと多くの日本の人々は答えるだろう。そこに問題がある。

我々は日本語という特殊な言語で社会を構築してきた故、異質なものが取り込み不可能な存在として捉えてしまいがちだ。これは間違いとするべきだ。

同レイヤー内でしか会話は通じないとして避けるのではなく、別レイヤー間でも会話を成り立たせる必要がある。そこには各々にプロトコール(礼節)が必要なのだ。