仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

暴力団に乗っ取られた日本

■91年、暴力団対策法。最初から問題は指摘されていた。暴力団に対して人道的で無い事、イジメ的である事、結果、地下に潜っていたものが地上に吹き出し、ある者は企業化しある者は警察や公的機関と混ざった。右傾化の根底に流れるいくつかの視標はそれを物語る。中小企業の団体や青年会議所の“悪化”だ。

70年代80年代、電車の中ズリや週刊紙にあった下世話さが消滅して、いまやYouTubeに移った。動画はヤクザの吐き溜と同じ匂いがする。

昔のヤクザの中には仁義を重んじる良いヤクザも沢山いた。問題は社会に悪い暴力団が浸透し悪質会社経営が蔓延し、公共機関の事実上の機能停止、文書改竄や賄賂が起こる一方、良いヤクザが姿を消していく事だ。

そもそも良いヤクザの定義がもうわからないだろう。昔は、実は少し前の東京ですら、地元に三世代以上住む者であれば、大体遠縁に一人ぐらい、はぐれ者が居た。彼らに正しく接していれば、何か問題が発生した時に仲裁を行ってくれたのだ。江戸時代の流れをくむ伝統だ。これ自体良い面も悪い面を含む。しかしシステムとしての完成度は現在よりまともだった様に感じる。彼らは善にも悪にもなる。彼らを善に作動させる事でコミュニティの秩序を善んなるものにキープする。これが人治社会だったと推測する。

関西を中心に企業体がヤクザとうまく折り合えず政治権力の大ナタを振るって暴力団排除を試みた。それ自体、メディアや権力に擦り寄るヤクザとそうでないとヤクザの抗争だった可能性もある。その結果、暴力団は飛び散っていたるところに侵入し社会全体がヤクザ化した。戦争発言、ふるさと納税外国人差別、雇用問題…日々のニュースの中にも、ヤクザの抗争的なものに置き換わっている様子が見て取れる。

古き良きヤクザが消え、悪しきヤクザが日本を乗っ取ってしまった。

本当の意味で仁義(仁:人間性・義:秩序)無き時代に突入したのか。

恐ろしいフェーズに入ったものだ。