仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

右と左

■多くの人は対立を対等であるかのように思考する。しかし、対立する二者が対等であるなんてことは現実社会ではあり得ない。

保守と革新は、進歩へのスピードの強弱の問題で、過去に戻ることを掲げる人はこの枠組みに入らない。テクノロジー・ユダと呼ばれる。アーミッシュなどがそれに当たる。多くはカルト宗教にあたる奇人だ。差別しているわけではない、文明を捨てて暮らしたいと思う気持ちは誰にでもあるだろう。

歌舞伎町で考えれば、右翼と左翼はどちらも日本刀を持った新住民だ。どちらも街宣車迫撃砲の打ち合いを見せる。「キミはどっち?」なんて言えるレベルの話ではない。なぜならどちらでもない。一般市民だからだ。

ネトウヨとパヨクもおかしな概念だ。どちらも匿名で無責任な煽り屋でしかない。中心人物は、本心とは別の嘘の書き込みで場をかき乱す。反動主義者(反抗期)が遊びで書き込み、それに釣られるのも反動主義者。「リベラルリベラルってうっせーんだよ!」とリベラルの枠組みの中にどっぷりと浸かっていながら自分自身にケチをつける。

エーリッヒフロムが解析した「自由からの逃走」が起きているだけだ。「校舎の窓を割って歩く」アレと同じだ。

一見意見の対立に見えるが、無知の人が公開処刑を受けているだけだ。

 

しかしこのイジメが社会に悪影響を与えている。息苦しさの原因はここにある。

老人と若者の対立も対等ではない。それどころか両者は違う時代を生きてきたのだから理解することもできない。問題があるとすれば年金が帰ってくると吹聴し運用に失敗した国だ。

人のことに文句を言わない、自分の足元の問題に集中する。それが一番重要な事だと多くの賢人は言う。他人がどうのではない、困っている人がいたら救う。 騙されても気にはしないが、人を騙している人間を目の前で見て、怒りが湧いたら躊躇せず殴り飛ばす。

対立を意識してポジションを生きると最終的に自分自身が鬱や精神分裂の状態に陥る。自分に集中し、対立ではなく統合に生きる事こそが個人の幸せにとって鍵となるにだが、これはお金を使わない生き方だから今も隠され続けている。