仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

ゲームの輸出に失敗した理由

■最近は海外のゲームしかしないという人が増えた。購入も海外から直接だ。

日本のゲームが海外で売れなくなった時、海外にプロバイダーを立てて情報収集に躍起になったが、上がってきた情報は、「レンタルが主流だからちょっとやそっとじゃクリアできないくらい難しくしろ」とか「血がもっとブシュブシュ出る奴がいい」とか。まともに対応していたら「何してんだ!俺なんか3日でクリア出来たぜ!ウヘヘ」みたいなコメントが返ってくる。

一流企業のくせに、現地でネトウヨみたいなクソ餓鬼を雇ってしまったらしい。

結果、現地のゲーム雑誌に、「難しくてできない」と評されてしまった。

同時期、発売された海外のヒットゲームは、一見すると暴力的に見えるが、ストーリーに哲学的問いが内包されている重厚な物が売れていたのだ。

「日本のゲームはクソ」だとセサで吐き捨てられるあの事件が起きる5年も前の話だ。

六本木のど真ん中に自民党の巨大広告。最初、隣人が描いたのかと冷や汗が出たが、やる気のない天野喜孝画だったようでホッとした。

日本人の最大の欠点はアートを知らないことだ。文化のルーツが遠すぎる上に言語が違うという根本的な問題をさておいても、西洋に比べると物作りに対する態度が浅すぎる。西洋文化は、精神や哲学、意思、現政や現社会、現地球に対する怒りのメッセージを、ゲームのような物にでさえも塗り込める。日本文化がこれに太刀打ちすることができるか?これが岡本太郎一生の問いだった。

でも日本の現場でそんな物を作ると言ったら納期やお金を理由に邪魔されるし、めんどくさがって誰も協力しようとしない。変人扱いが関の山。これは政治や社会に対する日本人に基本的態度の問題なのだ。もっと言えば民主主義でなければ真に大衆に受け入れられる娯楽すら作ることができない。全体主義ポピュリズムだから失敗しただけだ。

日本のゲームは“チャラ”いから海外で相手にされなかったんだよ。くーるじゃぱん。甘利明