仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

非礼だとすると

■私が子供の頃は、父親によく殴り飛ばされたものだ。食事を噛む音がうるさいだの、食器の当る音がうるさいだの、テレビを見ながら食べていたら、殴り飛ばされて頭からテレビに激突し、ブラウン管が割れその後六年間、我が家からテレビは消えた。

今の時代だったら、父はDVで何かしらの罰を受けさせられていただろうか?テレビではなく父子関係が消えてしまっただろうか。

自分は昔で良かったと思う。

しかし同時に気になるのは、今の若者はこういう教育を受けていない事で何かしらのハンディキャップを負っているのではないだろうかという事だ。

兎角それを感じるのはインターネットの書き込みである。

一言で言って無礼極まり無い書込みをよくもまあ恥ずかしげもなく出来るものだと感心する。その内容も無知蒙昧で反論にすらなっていない。論点がズレている場合も多々ある。しかしそのズレた書込みに賛同するバカがいるから呆れる。何かの「釣りゲーム」なのかもしれないが、無記名で素性が知れないにしても彼らには礼儀という概念がそもそもスポイルされている気がする。

彼らは言葉でトラブルを起こす事で暴力的な罰を受けた経験があるのか無いのかは定かでは無いが、礼儀足らずで鉄拳制裁を受けて育ってきた者だとは考えづらい。

仮に彼らが礼儀を学んでいたとしても、著述者がその稚拙な書込みを見てどれだけゲンナリするか、わかってやっているのか?わかってやっているにしても、自身に当てはめて体感するという、礼儀の態度としてまでは体得できていない。つまり礼儀の備わっていない人物、非礼だという事だ。

もし面と向かってそのようなコミュニケーションを取れば、当然殴り合いになる。殴り合いになれば、力が強いもの、あるいは権威がより高いものが勝ち、痼が残る。それが蓄積され複雑で嫌な人間関係が生まれる。しかし、無記名のインターネットの社会ではその遺恨が一方にしか残らない。アイデンティティを明かさない無記名のものが一方的に奇声を発して終わる。

インターネットのコミュニケーションで多くのトラブルが発生し、トランプやバカ田尚樹、ナチスクリニックのようなトラブルをビジネスとする輩が跋扈するようになった。これらを政治活動の手段として利用する集団が各国に同時多発的に現れた。

彼らは対立を作り、対立を煽ると言うが、そうであろうか?単純に思春期の子供のように親や権威に楯突いているだけではないだろうか?礼儀を無視して感情をぶつけているだけではないだろうか?反リベラルとは自身の首を絞めている自己矛盾の思想ではないだろうか?

檻の中に閉じ込められ、観客にクソを投げつける動物園のゴリラの様に。

これは己のストレスを他人にぶつける、非礼なだけの行動ではないだろうか?

 

ネット上においても大怪我を追う様な仕掛けがあれば、より人間的なコミュニケーションに戻す事ができるのでは無いだろうか?

でもそれはウイルスを送り込む様な姑息な恥ずかしい手段ではなく、コッチがボタンを押すと携帯から電気が出て感電し痛くてしょうがないみたいな、肉体的にわかりやすい暴力の方が望ましい。