仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

黄河文明の復活だとすると

■空気(ウワサやサークル)にボンドされた、顔の見えない人達が彼らの恐怖心、神経症から来る保守的態度で寛容性を捨て閉じた世界での簡単な競争に没頭する。これがこれまでだったのかこれからも続くのか?

眠れる獅子は200年ぶりに目を覚ました。共産主義とデジタル文明が融合した。これらは我々の予測の範囲内だった筈。しかし対策できていないのはどういうことだ。プーチンの答えは宗教を利用した分断による鈍化。それに対し我々はこの半世紀培った自由をどう中国共産党から折り合いを付けて守り抜くのか。このままだと自由は捨てるか奪われるかの二択になりそうだ。アメリカの北風政策は多分小さな答えしか生まない。日本が中国に暖かく接するより他ない。しかし無策のアベ政権はロシアの分断戦略の余波に足を取られて外交はおろか内政のコントロールもできていない。その事を当のロシアから指摘される始末だ。アベ外交は高いホテルに泊まるだけで他国に対してリスペクトもリーダーシップも発揮できていない。傀儡される一組織人(餓鬼の使い)だからだ。このまま世界が再び冷戦時の様に緊張関係で成立した場合、今度は前と違い全く利を得る立場に立てなくなる。気が付いてはいても、能力が無い。

日本が本格的な自立できた人々による自由の国として生きていけるのか、はたまた封建的な隷従的態度に逆戻りするのか帰路に立っている。とは言っても我々が白人を従えて今のアメリカの替わりに世界を牽引するリーダーのに躍り出るのは現実的では無い。答えは自ずと共同態勢を選ぶ。そこで日本が見せる態度として、ビックデータによる中央集権型の恐怖政治というのが的外れもいいとこだ。既出のパーセプトロンエキスパートシステムを軸にユビキタスの社会形成を輸出するべきだ。流行りに背を向けるのは苦労も大きいがそれができるのは我々だけだ。

未来は未だ我々の手の中にある。