仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

浅き夢だったのだとしたら

憲法改正なら、天皇制の廃止だと思って疑わなかった。現代にイキガミ様が居るわけがない。しかし、日本人は未だこの荒唐無稽な神秘主義を利用している。

 アニメやゲームといったコンテンツ産業までもが、この荒唐無稽な神秘主義の力を利用し始めていたことは気がついていた。現在はその成れの果てというわけか。

 我々は民主主義を希求したが、その動機に先進国への夢という不純なものが混ざり、近隣の他者を尊重出来ず、隣国と和議同ぜなかった。

 ここをもっと直視しないと始まらない。いや我々は待望されていた、と自己正当化しても現実に起きた失敗を見れば、少数であれ差別心を克服しそびれていた民がいた事は疑う余地がない。

 末期に満州で起きた日本人の追い出しや東南アジアでの賎民教育政策への反発は声にこそ出さねど現地民の目の中に強く残っていたと引揚者自身が語っている。現代を省みても、差別が克服できていない人々の多さには頷ける。

 江戸末期の下層武士達は、富の独占と汚職、それ以上に行政のサボタージュを敵視して革命を起こした。しかし結果はミイラ取りがミイラになっただけだった。それでも眠れる獅子が不在のアジアで先発した結果、今まではある程度のポジショニングを維持してこれた。明治維新のビジョニスト達は、あの獅子がやられた事を恐怖し、同時に産業革命と市民革命を成し得た西洋文明を脅威と憧れの両方で見つめた。彼らの動きはやがて獅子が復活する事を見据えていた動きだった。それは獅子を阻害する事ではなく、助ける為の行動。

 それと同時に、西洋を研究する中で彼らが惹きつけられた物が民主主義の在り様だった。やがて下層階級の武士達もそれを希求する。これに対してケチをつけてクリティカルに批評したのが諭吉の「天は人の上に人〜とはいうけれど、現実はそうはなってねぇぞ」という文章だ。「そんなにうまくいかねぇからお前ら革新したって無駄」というよくある保守派ジジイの舐めた態度だ。まあ正しいのかもしれないが。

 しかし、我々の革命は予想に反して上手く行った。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という世界を、日本人は心の底から希求していたのだ。

 省みて今の我々はどうだ。