仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

人生の外部コストだとすると

ピエール瀧が捕まる。元々インディーズのテクノユニットでマイクを持たないDJだった人だ。そういう人だと言うことは周知だった筈。

彼は出演作品のペンディングにかかる費用を払う必要はあるのか?

そもそも、出演者が逮捕されたり実刑を受けた場合、大河ドラマの放送を中止しなくてはいけないのか?最新の映画出演作品は公開されるらしいが売り上げが下がったら損失を補填させられるのか?(興行収入は上がりそうですが…)

保証責任は本人か?制作主体か?拘留した警察(国)か?はたまたヤクの売人か?保険会社か…?

 

「自動車の社会的費用」(宇沢弘)は、自動車を買う時、自動車の値段に、その自動車が運悪く事故で人を弾いてしまった時のコスト、タカタのエアバックで運転者が死んでしまった時の事故のコスト、塗装が与える環境破壊のコスト、排気ガスのコスト、それらのあらゆるコストがちゃんと入っているかを問う内容の本である。

同じことが、「安くてクリーンな未来のエネルギー」と謳われた原子力発電が事故を起こした時に再提起された。「安くてクリーン」はどう考えても嘘だろうと。原発の外部コストは一体いくらなのかと。

我々は日々の生活を妥当な金額を払って送っていると思いがちだ。しかしそれは幻想でしかない。

給与は安い。市場は適正価格を決定などできない。

一見してまともな価格で回っているように見えて、実はまともでないことが事件や事故、危機によって表出する。

映画撮影の外部コスト

ゲーム制作の外部コスト

外注制作にして、人件費を物品費にして、コストを圧縮しているが、それにより業界内に疲弊した同業者を生む。派遣の時はまだ疲弊した同業者が同じフロア、目の届くところ、見える場所にいた。自分たちがコストを圧縮したために、身なりの汚いアルバイト社員や鬱病と一緒に働かなくてはいけなかった。それに真正面から向き合わず、真っ当な解決を拒んだ結果、外注化と遠隔勤務の増大になった。スマート化なんてものじゃない。

 

オフィスで一日中安い椅子に座って、腰を壊して寝た切りになったり、腎臓病になったりしたとしよう。

時給850円は酷ではないか?

月給60万でも採算はあうのか?

人生の外部コストを考えたら、市場は安過ぎる。

 

CDの印税、映画の出演、ピエール瀧の世田谷の自宅には二台の車。30億の賠償はとても払える感じではないとか。

奴隷労働はどっかで上手く売り抜ける方が吉か?CD一枚で引退か?

でもきっとお金じゃ無いんだろうな、と。

 

だから無理だとわかっていても政治や政策に期待してしまう。働いて生きられる社会が欲しいと。