仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

尻をぬぐうのは俺たちだとすると

■裕福が、六本木の高層マンションの高層階に住むことだ。とするのなら、これで良いのかもしれない。

自動車を買ってみるとこの世界には自動車しかない事に気が付く。ゲーム機を買う、スマホを買う、新興の浪費財はそこそこあれど、車ほど完成した浪費はこの世界にはない。いや、未だ創り出せていない。仕事に縛られる理由は単純で、他にすることが見当たらないからだ。そこで創り出そうと言うわけだが、

本当にそんな必要はあるのか?

自然の中に生きていた頃は沢山することがあったが、現代社会でやるべき事は極めて少ない。草に水を与えたり、深呼吸して天気の変動を感じたり、著作権を気にせず歌ったり、話したり、書いたり。自分が今欲している裕福の全てがそこにある。

特に贅沢もせず、経済の歯車を回していても、上層部の無策や桁外れの無意味な浪費によって、数千兆円と言う額で吹き飛ぶ。自分の努力などチリほどにもならない。それでいて、無策のツケを払うのは我々の命だ。

私物化する者を追い出せないのであれば死ぬか原始の生活に戻るかを選択する羽目になる。賢ければ原始の生活に近いライフスタイルをもうすでに構築し始めている。