仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

壊した後に何をするかが問題だとしたら

■「創作ってなんなんじゃろか」と思っていた時に、会田誠の展覧会等時々見に行った。ゲーム屋みたいな狭いクリ穢多にはいい餌だったという事に気が付かなかった。アナーキーとかアートとか結局よくわかってなかったわけだ。

破壊は必要だ。でもそれは何をする為の破壊かと言うことが重要なんだ。邪心が自己満足の世界を築く、その為の破壊だとしたら、出来上がるのはただのゴミ屋敷だ。日本人の建築家が好きだった彼らはザハ・ハディッドの良さに辿り着けただろうか?

2019年の町並みは、皆同じような黒い服を着て視線は手元、政治やCEOは世襲で気がつけば北朝鮮と似た国になっている。戦争を捨てアジアで最高の経済の成功を収めた自由民主主義の国家だった「にほんこく」は完全に死んだ。

隠蔽改竄をしないと維持できず、能力ではない競争と努力に終始し、テレビは朗らかと言うよりは狂気に近い笑い、画一化と統制という底知れぬ息苦しさ。そこに平等すら無い。経済の低迷からだけではなさそうだ。

始まりはもっとずっと前からだったのかも知れない。

あの時言語化できなかった違和感。あれが唯一正しかったんだな。