仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

実は金余りだとしたら

■バブル王子月に行く。いや、月に行っている場合か?というのが正しい問いの立て方ではないか。

野口悠紀雄先生は、製造業の衰退が底流にあり、そこを脱する為の新産業の勃興と移行の遅れが真の問題であると言っている。自分は、osがアメリカ製である事もさる事ながら、Adobeやavidの有するコンピュータ上の基盤ソフトウェアがアメリカに抑えられてしまっている事が問題なのだと思う。こうなっている以上、ハードの知財でしか食っていけないがコンピュータの設計が変化するとそれすら失いかねない。

今は「知財を守る」時では無く「知財から新産業を守る」時である。それはアジア全土、アメリカ以外、ひょっとするとアメリカ自らにも言えることかもしれない。

知財の保護を過度に国が擁護すれば、社会の進歩は止まり、富裕層も固定される。

正月のbs特番「欲望の資本主義2019」は叫ばれる規制に疑問を呈す内容だった。ハイエクを中心に構成される番組の中で最後にセドラチェクが言っていた

「物を買える自由や

相手をののしる自由ではなく

もっと深い自由だ

個人が国家の考えに支配されない

そんな自由です」

とは自由への介入が例えAIに支配されつつある世界でさえ国家が介入することの怖さの方が危険であると警告していたのではないか。

政府が一生懸命になって行った金融緩和は、焼けた石を温める為にお湯をかけていたのではないか?

意味が無いからまだよかっただけ

ではないか?

 

統計不正は真の悪夢を覆い隠した。無意味な国費の投入の影で、優秀なエンジニアを製造業につかせることが出来ず、芽が摘まれ、金融業などの水物にリクルートされたのではないか?NASAから金融業に移ったアメリカと同じ構造は無かったか?この責任は誰かに立証され後世裁かれることになるだろうか。失われた可能性への責任は問えないものか。