仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

三浦さんが無理なチャレンジをしてしまったのは、歳をとると人はより幸福になるからではないだろうか?

■その時私は、どんな人間にも最後の瞬間には安寧の死を迎える事ができるという自説に確信を持った。

誰の文章だったか忘れた。でも、遺体は穏やかな顔のものが多いという。臨死体験でトンネルや花畑が見えるというのは脳に終了シークエンスが備わっているからだと主張する人もいる。ちょっとアレだが…

賛否のある話だが、IQが高い人は幸福であり人を信じやすいという研究結果もある様だ。それは知識と経験の量に比例するらしい。

 

エベレスト登頂の時、古いアシモの様に進む姿を見て感動した。が同時に「そんなにか」とも思った。だから今回のアコンカグアは中止になってしまっても無理はない気がしていた。

 

1、肉体的老化ではない

2、精神的老化でもない

3、認識の間違いは年齢によるものか?

 

だとするならば、歳をとると人は固定概念から解放されより自由に幸福になれるのではないだろうか?

最近、「自分も歳をとったな」と世界がセピア色に見える時がある。哀愁とは少し嬉しいものでもある。

年齢による限界などは存在しない。が、やがて来る死への備えはある。規定した限界を超えて行動すべきは我々40代ではないだろうか?

理論の飛躍こそが人を豊かにするのだよ。ついてこれないのは坊やだからさ。