仮説を建てる

仮定の質問にしか答えはない

【日本の劣化】原石に価値を見出せない

■仕事柄の話でもあるが、パイロットやモックを見せた時に、真っ当な反応が帰ってこないことが2000年代後半あたりから多くなった気がする。自分の立場の変化もあって、あまりハッキリとしたことが言えなかったが最近総括するとそう言うことなのかと思う。

つまり、商品に慣らされすぎて、商品価値率の高いモノに、プロバイダー側であっても反応しないのだ。

才能剥き出しの荒削り人材は、低コストの掘り出し者で、本来ならば利益率が高いから垂涎の奪い合いのはずだ。しかし、人材派遣から提供される人材を見た時に即戦力を通り越して、即商品でなければ触手が動かないディレクターやマネージャーが増えすぎているのだ。

仕事をしていないのに態度が偉くなりすぎてしまったせいか、商品、ひょっとするとパッケージや付加サービス(接待?)までついていないと、反応しない。

マグロの卸なのに、高級陶器に盛り付けつまがついた状態の刺身にしないと買ってくれないみたいな事が起きている。

これはなんなのだろうか?

人を選ぶ時は、その人材が自分や自社とハーモナイズした時に何が起きるかを考える。それもない。

逆に言うと、これで商売が成り立つ事自体が異常なのだ。その理由は、競争原理が働いていないこと。原石を探さないでも利益が出る市場であること。その大企業が有している名前の価値が持っているプレミアム、(ブランド)が物そのものの価値を凌駕してしまっている。これは異常な事だ。

劣化とは、価値判断をする基準が、

物その物の価値を見る事をやめ、名前や系統に代表される副次的なタグ(レッテル)を基準に判断するように変化してしまったことなのかもしれない。

タグで判断するのはコンピューターアルゴリズムの基礎である。

本当は、日本型失敗は奇説の重用ではないか?

■嘘つきトンデモ発奮に「キミ!面白いこと言うねェ?!」と近づき、

少数意見の奇説に権力を授けていないか?

その結果、誰でもわかる様な失敗をしていないか?

・コロナでgoto医療崩壊

種苗法モンサントに身売り

憲法改正独裁国家

・大企業優遇で中間製造業の停滞イノベーション枯渇、開発力低下による敗退

...

・甘やかしによる地方衰退、国策化で観光業崩壊、デジタル化で海外への情報流出。

 

菅義偉総理大臣がわざと国民を減らして、国を崩壊させようとしているのでなければ、以上の様なことは説明がつかない。説明できるとすれば、奇説に飛びつきすぎたのに、「ごめんなさい」が言えないという幼児的権威主義の可能性しかないではないか?

 

 

加害者であること

地方自治が力を持った結果、そこから疎外感を受ける人々が増えた。日々の生活が、ヘイトやDV、ブラック企業と判断される。自分自身に変化はないのに、予想だにしないところから、違法であると指差しされる。疎外感を受けた個は不安感を埋め合わせるために、丁のいい逃げ口実をネットやバーチャル空間の「仲間」に求める。

彼らは、自分自身が普通の人であることを主張する。それは加害者や脱法者、アウトサイダーの生き方を経験したことのない事の表意だ。

ここで自分が、外側に追いやられた時に、

これを快感とするべきではない。

自身の罪に向き合い、噛み締めて戒める。この作業が必要なのだ。

いきなりこの様な作業を強要されることは煩わしく思う人は多いだろう。しかし、我々は日々消費社会の中でスポイルし続けているエネルギー消費や環境負荷、他者特に外国人労働者やエッセンシャルワーカーへの皺寄せ、現代社会の優を享受するために浪費したいくつもの見えない外部化された行為やエネルギーに対して我々はツケを払わなくてはいけないのだ。

この加害者である事を外部化していた罪悪のツケが、その身にいきなり降りかかってきたという事なのだ。

資源の枯渇か?

■消費社会

世界を消費して地球が潰れる未来

資源の枯渇がやってくるのを日々感じる。賢い人はモノを買わない時代になった。

コト消費で成長を目論むが、コト消費に妥当な価格などない。

それでも消費しろと国から恐喝される。

マイナンバーで国は何をトレースしたがっているのか?それは収入と支出ではないか。

貪欲な消費者を探し、より繁殖させることを目論む。

そうしてできた消費する家畜の耳に札を生まれた時から付けておく。

外資の介入と銘打っておきながら、国民の行動制約に使用する。彼らは一体何者なのか?何を目標としているのか?

 

自民党政権による株価偏重の結果

■中国に対抗するあまり、中国以上の監視国家化してしまい、自由が担保されたが故に成し得た経済成長とものづくりが、もうすでに失われてしまっているが、更により停滞し新規開発も起業も新しいアイデアが生み出される基礎すら無くなってしまう。

これを加速させて行くという事は、自分の手で自分の首を絞めて、死ぬまで締め上げるという事になる。

苦しさはますが、この手法ではなかなか死ねない。

加速主義への疑問はここのある。

答えが出ぬまま、大きなクラッシュも起きぬままに、ただ単に生き苦しい世界が続いてしまうのではないか?

私達が自発的に答えを出さない限り。

 

加速主義を謳うものは大きなクラッシュの後に、再び社会を、キリスト教の力を使って再構築できると思っているのだろうが、それはどの土地でも成せるとは思えない。なぜならアジア主義だからだ。

反知性主義ではなく、タテツキ主義だとすると

■イヤな人間と、屁理屈の時代。

こっちかもしれない。

実は多様性の確保の結果、屁理屈やイヤな人間の考え方、非人道的だったりクソ野郎の諸行、ゲスの極みが許されてしまう世の中になっているのではないか。

とするとこれらトランプ的風潮は長引くかもしれない。

たしかに父権の強い我々の時代だったら、ネトウヨやトランプの様な振る舞いは、すぐに「殴られた」。

しかし男女平等が叫ばれ、教育では暴力を完全に排除し、父親が子供を殴り飛ばすと収監されてしまう時代が来た。

殴られて育った自分からすると、呆れる域に達する身物言いの軽さを躊躇なく吐ける、というのが今の違和感と通じるのだ。このブログも趣旨は、軽い言動にできるだけ軽く反証することを目的にしてきた。しかし意味も効果も無い。

正しいことに楯突く人々は、それなりの覚悟を持ってやっているのなら後に来る被害を甘んじて全身で受け止めるだろうが、どうも逃げる傾向にある。

世界を壊して逃げ足が早い。これがステイタスとなったら、人類社会は自らの手で自らを死に追いやることになるだろう。これでは落ちるところまで落ちても抜本的刷新はおきず、自己免疫疾患の様に薬無しではただ死を待つのみとなる。

ひょっとすると、「暴力」しかないのかもしれないという話。

 

ひきこもりを考える

■以前書店で、「文豪はみんな、うつ」という本を立ち読みした。まあ内容はほぼタイトルに含有してあったという程度の立ち読みだった。同じように、「天才は学習障害」みたいな本もあったような気がする。

作家という生き方を考えると、不思議な気持ちになる。自分は、出社、通勤がない生き方をどのように生きられるだろうかと考えると無理のように思える。もし、作家が自分を肯定できるのであるとすれば、印税と名誉だろうと。

フリーランスの生き方は死と隣り合わせだ。働かない生き方を自己肯定できずにいれば、死に追い込まれてしまう。

世捨て人、翁、庵。古の世界にはいろいろなひきこもりが登場する。

そもそも、定住前の人間とはどんな者だったのか?

猟師、マタギは山の中で銃を抱えたまま何時間も待つようだ。それはシロクマが氷の穴の前でアザラシが息継ぎのために上がってくるのを何時間もじっと待つのと同じ。一瞬の為に何時間もの時間をじっと動かずに待つ。そこに本当に張り詰めたような緊迫感はあるのだろうか?本当は代謝を下げて心拍を減らし呼吸数を減らし籠っているのではないだろうか?

稲作が始まり、蓄財と貨幣ができ、奴隷ができた。

それ以前の本来の人間に戻るのだと思えば、また違う生き方も肯定できよう。